suisidelover

日記

3.7

いつからこうなっちゃったんだろう~っていつも呑気に言ったりするけど自分ではちゃんと時期は覚えてるし、毎年毎年最もド鬱だった時期のことは結構明確に記憶してるけど、デカい鬱!ドーーン!!みたいなのが年1~2レベルだった昔とはもう違うとこに来てるなあって日々思う。鬱の合間を縫って生活してます(?)みたいになってきてる。ウケる。

こういう話するのって根本的な問題解決から逃げてると思う人もいるだろうし、あえてこういう話をすることや聞くことを避けてる人も多いんだと思う。それができるって強みだよね。自分を制御する力がある。いや「そういう人と私は違うんだよね」みたいな話にしたいんじゃなくて!私もそれが出来るようにならないといけないよね本当は、ってこと。

元々こういうことは自分だけの日記にペンで書くことから始まってて。憂さ晴らしで。それから@メンタルっていうまあ似たような人が集まってるサイトに書き込むようになって、、一番最初の頃は私みたいな人は他にいないんだと思ってたから、同じような人の存在がかなり衝撃だった。でもその存在ってちょっと心地よかったな。あの時の感覚でここまで来ちゃってるのかも。

開き直るんだか普通を装うのかどっちかに振り切った方がいいのかもしれないけど難しい。あー支離滅裂になってきた。

私はこんなにしんどいけどしんどいのは私だけじゃないということ。

私が耐えられることは他の人には耐えられないことかもしれないし、

私が耐えられないことは他の人には耐えられることかもしれないということ。

そういうことを毎日丁寧に考えてるつもりで、その過程で誰にも迷惑かけたくないのに結局かなりかかってる。

ここでお手上げってことにしたらこの先足元グラグラになっちゃう!

できることを探す、やってみるの繰り返し。

私はこうして喚かないと生きていけない気持ちになるよ。

3.2

生きてると~って言うの毎回大袈裟だなと思うんだけど、大袈裟なんだよ!!生きるのは!

 

んで、

生きてるとどっかで自暴自棄になるし、全てに何の意味もないって思えてくる時があるし。そういう時に、小さな愛を全部無視してもいいやって気持ちになって結局誰かを傷つける。てか、傷つけてもいいと思って行動しちゃったり発言しちゃったり。

そういうのはやめたいよねーってことを冷静な時に考えても大した意味はない。だって人を傷つける時は冷静じゃないから。傷つけたくないと思ってても傷つけてしまう時はあるし、傷つけたくないと思ってても傷つけてもいいって思っちゃう時もある。

だけど、「この人は普段こんなに私のことを考えてくれているのに、この人から貰った愛の全部を無視しても傷つけていいと思っちゃうんだ?自分は」って今みたいなちょっと冷静な時に考えると私って異常な時ほんと異常ダワ‼️って思う、当たり前なんだけど。

私はたびたび異常事態に陥るけど、あなたがくれた気持ちや愛のことをどうでもいいと思っていたのではないのです、って、そういうのは普段の態度や行動で示していくしかない。

 

まー、極端に分かりやすく言うと、

「死にたい自殺するお前を悲しませる」のような旨のことを言い出すときはあるけど、こうして生きている日々の中ではあなたが大切であなたがくれたどんな些細な愛にも感謝しているし救われている、ということ。

異常事態に陥った時にはそういうモンスターだと思ってください。

ただの我儘だけどね。

2.20

暗いことホントは言いたくないし不幸アピールをしたいわけではないけど、事実として漠然と死にたい。そしてこれは今後も恐らく消えることがなくて、感情をなんとなーく、あやふやにしていくしかない。

でも実際「死にてーよ死にてーよ~~」って喚き散らしながら生きてた方が楽っちゃ楽なんだよね、目を背けるより。なんなら「いつも死にたそうな人」として生きていく方がいいのかな?

生活の中での様々な選択肢の一つにいつも死が浮かぶことがいよいよしんどい。

誰かを悲しませたくない傷付けたくない傷付きたくない嫌われたくない、これらが全部叶うことってない。それを未だ受け入れらんないの!18年生きてて!

ずっと死ぬことと生きることばっか考えてきたのに~~

ライブに行ったら救われることももうないかも。

 

なんだろ、デカい努力がデカく報われるみたいな経験がないことって私の人生においてかなり影響与えてるかも。考えうるうちのその報われチャンスの最大が大学受験だと思うけど、結局パッとしない感じで終わっちゃたな~

四月からどうなるんだろう、なんも分からん。けどとりあえず春夏乗り越えたら、私の勝ちね。!

2023年総括

今年も沢山の人にお世話になりました。と同時に、多大なるご心配・ご迷惑をおかけしたなと思います、すみませんでした!

今年はエクストリームな気の病み方をし、SNSではいわゆる「メンヘラ」らしい暴れ方をかなりしたので、来年はそれについてももう少し考えていかないといけないなと思います。

下半期の記憶が新しいので反省ばかりになってしまいますが、上半期を思い出すと結構楽しく過ごせていたなとも思います。朝までスペースしたり(※受験生)、美術館に行ったり、英検の対策を友達としたことさえ楽しかった!(友達はどうだったか分かりませんが!!)

あと、今年はいろんなことを沢山考えて、様々なことに対する考え方も結構変化したなと感じます。ただ、それで明確にこう変わりました、って段階までまだ行きつけていないから、それは2024年の課題かな。

 

2024年は・・・

2024年は、言葉より行動で示せる人になることを目指します。

私にとって言葉っていうのは昔からかなり重要なものというか、「言葉は多ければ多い方がいい」と思っていたんだけれど、「意識的に言わないことの大切さ」について今年は身近な人から結構考えさせられて。

たとえば、ここ2年くらい私は毎日のようにかわいいって言ってくれる友達のおかげでかなり自己肯定感が上がったり、昔通ってた塾の先生がかけてくれた言葉が今もずっと私を支えていたりして、そういう言葉に助けられてきた経験があって言葉には執着してるんだけど、そのことと「言葉は多いほうがいい」ってことは必ずしも直結しないなって最近になって考えるようになった。

詳しくはここでは書かないけど、とにかく、言葉は多いほうがいいってもんでもなくて...そして、そんな言葉で全てカバーしようとしてきた私には行動することや態度で示すことが足りていない...

ので、2024年は適切な言葉の使い方と愛のある行動ができる人になりたいです。

おわり。

 

 

9.26

何を言っても何を思ってもある程度肯定の気持ちを持って返答が返される、そこに言葉を投げ続けるくらいなら何も言わない方がマシだと思う。時がある。結構。

同じ場所に居続けてはいけなくて、その場所が続くことを願うことは当然のことだけれど、そこにずっと居続けたいとは本当は思ってはいけないんだと思う。

だってそこで満たされようがボロボロになろうがなんの変化もない。

満たされたままかボロボロなままかになる、そんなのって人生上おかしいじゃないですか。

だからいつ環境が変わっても物怖じしないように構えてなきゃいけないし、色々と身に付けなきゃいけない。絶対的に自分を守ってくれるものなんてないから、その都度、最も自分の武器になるものを選んで使えるように沢山取り揃えておかないといけない。

今自分が持っているものは絶対的に弱い!絶対自分を守ってくれるものなんてないけど、自分がいつだって絶対に弱いのは確かだ。

期待だけで生きてたらなんもないって最近分かってきた、明るく前向きに過ごす、いいことです。楽しいから十分!いいことだけど、なんか違うんだよね。

「面倒になりそうな方に進めベイビー」が出来たら苦労しないけど、苦労しなきゃってことだよね。

今は全部に負けた気でいよう。

8.22

「今日はもう眠りたい」とか言った30分後くらいにこれを書いている、さっき飲んだ鉄サプリがもう効いているのか知らないが元気になってきた、人生だなー

 

ここ数日、Catfish and the Bottlemenというバンドにハマっている。

ライブ映像がめちゃくちゃかっこいい。最近本当にエンタメを受容するハードルが高くなってしまって、YouTubeやテレビを観るだとか地域のゆるめの催しを見るだとかで感覚を慣らしてるくらいなんだけど、久しぶりに心からライブに行きたいなあと思えた。(あ、でも17日から3日間やってたソニックマニアサマーソニックの盛り上がりをSNSで追えたのも大きかったかも。来年は行きたいなー)

キャットフィッシュの曲ってなんか全部ちょっとさびしくていい。

気が滅入りすぎてる時は聴けないかもなーって思うけど、今も聴きながら書いてるから大丈夫(?)

海外のバンドのライブって、私の中ではフロントマンのカリスマ性ありきで善し悪しが決まるような感じがあって、生で観てみたいと思うバンドはあるけど「ライブを観たい」ってわけではないかも、みたいな謎の気持ちがずっとあったけど、キャットフィッシュのライブは単純にこの景色の一部になってみたいなと思った。

でも解散しちゃってるらしくて悲しい...もしも復活したら海外でもライブ行きたいくらい。

 

ロックバンドのライブとしてのシンプルさもありながらエンタメ性をちゃんと考えてる感じこういうの本当に大好き。客席も含めて最高↓

youtu.be

8.21

鬱っぽい時は抗うつ薬の代わりに鉄サプリを飲むようにしているんだけれど、

鉄不足は鬱の原因になるらしく鉄分を取るのはどうやら正解らしい、初めて知った。

毎年この時期は本当に気が滅入る。

今年は大丈夫かもしれないと思っていたけれど、やっぱり飲まれた。そういうこともある。だから今日の訃報は全然他人事に思えなくて、悲しさより怖さの方が大きいことに少し絶望した。

 

この文章を書き始めるまでに1時間半かかった。でも昔より自分をなだめるのが上手くなって良かった、昔ならこれは1週間かかった。

被害者意識が強いときは沈んでいた方がよっぽど気持ちよく思えてしまう。

でも、生きてるだけで加害者だって気付いたらいつまでも沈んでいたりあからさまに意気消沈した態度をとることがいけないことに思えてきた。

いつまでも「傷つけられた」って顔をしていられない。

私たちは絶対に人を傷つけずには生きられない。

 

キッチンに行ったら成城石井のパンがあったから、明日は早く起きてあのパンを食べたい。今日はもう眠りたい。